壮大なスケールの傑作「ジェノサイド」から11年ぶりの新作はドメスティックな小品 高野和明「踏切の幽霊」は心を打つ佳品でした

11年前、各ミステリーランキングを席巻し、直木賞候補にもなった傑作「ジェノサイド」。
日本・アメリカ・アフリカと世界的スケールで物語が展開し、人類の進化とか難病治療の創薬とか様々な科学的アイデアを詰め込んで、そのうえでエンタメ小説としてむちゃくちゃ面白いという、とんでもない作品でした。

その作者・高野和明さんが11年ぶりに書いた新作・・・となると、どうしても「ジェノサイド」を超えるスケールの大作を期待してしまうのですが、今回扱われているのは、何と「幽霊」。それも踏切の地縛霊なのでものすごくドメスティックな話なのです。

オカルト要素は満載ですが、科学的裏付けはほぼ皆無。前半はかなりのホラー小説ですが、後半はじんわりと心にしみるシーンも随所にあって、なかなかの作品でした。

高野和明「踏切の幽霊」(文藝春秋)、ご紹介していきます。

前半の「ホラー」テイストには結構、ゾクッ・・・

都会の片隅にある踏切で撮影された、一枚の心霊写真。
同じ踏切では、列車の非常停止が相次いでいた。
雑誌記者の松田は、読者からの投稿をもとに心霊ネタの取材に乗り出すが、
やがて彼の調査は幽霊事件にまつわる思わぬ真実に辿り着く。

あらすじとしてはこんな感じです。
より詳しく書いておくと、時代背景は1994年、バブルがはじけた後の不況に突入しつつある日本。
踏切というのは、小田急線の下北沢3号踏切です。実は2013年に地下化されていて、現在は存在しないんですね・・・ 
これも時代を1994年に設定した理由のひとつかもしれません。
冒頭で紹介されますが、この小田急線は箱根までつながっています。これが最後に重要な意味を持ってきます。

また、主人公の松田が追い続ける謎の女性が、この踏切近くの自動販売機の前に立って電車を眺めている姿が目撃されていて、それは売春の客を待っていたのではないかという話が出てきます。
これは1997年に起きた、いわゆる東電OL殺人事件を思い出させます。

こちらの現場は渋谷区円山町ですが、近くには井の頭線の神泉駅があり、そこから3つ目の駅が下北沢です。
何より時代の空気感というか、バブル後の日本社会という背景が通じるものがあるのかな、と本筋とは関係ないですが興味深く思いました。

物語は最初の3分の1くらい、結構なホラーです。真夜中にかかってくる電話、その時刻「午前1時3分」が持つ意味。
夜中に読んでいて電話のシーンが出てきた時には、その後、眠れなるかとちょっと後悔したほどゾクッとします。

で、ここからが面白いのですが、主人公の松田は、「謎の女性」の情報を求めてキャバクラめぐりをすることになります。

キャバクラ嬢の秘密・・・後半は社会派ミステリー!?

当時はまだキャバクラが流行し始めたころで、松田にとってはそういう店は初体験。おなじみのシステムも新鮮な視点で描かれています。

今もそうでしょうが、当時のキャバクラ嬢は、さらに複雑な境遇の人たちが多かったようで、彼女たちの背後には暴力団の影がちらつき始めます。

こうして物語は一気に社会派ミステリー色を帯びていくのですが、私が心打たれたのは、松田と、ひとりの売れっ子キャバクラ嬢との心の交流です。

彼女は「謎の女性」のことを実は知っているのだが、決してそのことを認めようとはしない。ところが松田が何とか糸口をつかもうと調査しているうちに、彼女の身に重大な“事件”が起きて・・・

妻を亡くして以来、生きる目的を失っていた松田と、事件に巻き込まれて「死にたい」と口走る彼女とが心を通わせた瞬間。

色眼鏡で見られがちなキャバクラという仕事を、松田は一貫してフラットな視線で見つめます。そして松田のこの姿勢こそが、「謎の女性」の人生と「幽霊」の真相にたどり着くための最大の武器になりました。

最初にも書きましたが、「ジェノサイド」という壮大なスケールの大作の、次の作品としてはあまりにもドメスティックで、小品と言うしかないのですが、それでも(ジャンルとしてはオカルト物でありホラー小説でありながらも)、読み終えて心が温まる正に佳品と言うべき作品でした。