「何だこりゃ?」的シン・ウルトラマン オリジナル愛が強すぎて粗くなってしまったのか・・・

「シン・ウルトラマン」公式Twitterより

シン・ウルトラマン・・・
話題の映画を公開2日目に見に行きました。

見終えた後から、ネット上の評価などいろいろ見ていますが、相当極端に賛否が分かれてますね。
最高傑作というものから、駄作というものまで。

私はというと・・・正直、「何だ、こりゃ?」という思いが、見ている間、ずっと頭の中をグルグルめぐっておりました。
一体、何が「何だ、こりゃ?」だったのか。振り返って考えてみたいと思います。

「初代ウルトラマン」への思い入れの無さが影響?

まずは念のため、「シン・ウルトラマン」のあらすじを公式HPから。

次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)】があらわれ、その存在が日常となった日本。
通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は、禍威獣対策のスペシャリストを集結し、【禍威獣特設対策室専従班】通称【禍特対】を設立。
班長・田村君男(西島秀俊)、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)、非粒子物理学者・滝明久(有岡大貴)、汎用生物学者・船縁由美(早見あかり)が選ばれ、任務に当たっていた。

禍威獣の危機が迫る中、大気圏外から突如あらわれた銀色の巨人。
禍特対には、巨人対策のために分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が配属され、神永とバディを組むことに。
浅見による報告書に書かれていたのは…【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。

本題に入る前にあらかじめ確認しておくと、私は「初代ウルトラマン」をリアルタイムで見ていたわけではありません。
物心ついて、本当にリアルタイムで見ていたのは3代目の「帰ってきたウルトラマン」からです。
ただし当時、再放送で「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」が頻繁に流されていたので、幼少期にその2つの番組を見ていた、という意味では、まあ「ウルトラマン世代」と言ってもいいのかな、と。

ただ、なぜか「ウルトラセブン」に比べて「ウルトラマン」への思い入れは若干薄いという自覚はあります。
やっぱり「セブン」は今でもいろんなところで評価されているように、ドラマとしてかなりクオリティが高かったんですかね。子供心にも、そういう要素に引き付けられるところがあったのかもしれません。

そしてそこが、今回の「シン・ウルトラマン」に対する自身の評価にもつながっているような気がしています。

よく言われているのは、今回の「シン」は「初代ウルトラマン」に詳しければ詳しいほど楽しめる部分が満載で、そういう人たちはこの映画を圧倒的に評価しているようです。
(逆に愛が強すぎて「これじゃない!」と猛批判する声もあるようですが)
ただ私には、制作者たちの、オリジナル作品へのリスペクトが強すぎて、ストーリー展開とかドラマ構成の雑さも、そのまま残してしまったような気がするのです。

初代ウルトラマン

今回、映画を見るに当たって、「初代ウルトラマン」の最終回を見てみました。ウルトラマンがゼットンに敗れ、そこにゾフィーが現れる回で、ヒーローが悪役に倒されてしまうという衝撃は今でも覚えています。ただ、その衝撃しか覚えておらず、どういうストーリーだったか、というのは全く記憶に残っていませんでした。

そして今回、改めて見てみて、その粗さに愕然としてしまいました。
まずはゼットンが一体、何なのかの説明がない。そしてなぜそんなに強いのか、なぜ無敵だったはずのウルトラマンが歯が立たないのかがわからない。
極め付きは、ウルトラマンが倒された後、科学特捜隊が、新開発された武器を使って、あっさりゼットンを倒してしまう。
今のテレビ視聴者から見れば、まさに「何だ、こりゃ?」という感じです。

ただしこれは、多くの特撮ドラマや映画を見た今だからこそ思うことであって、当時はそういう流れでも誰もツッコミは入れなかったのでしょう。特撮を使ってあれだけの映像・物語を作り上げるだけでも大変な労力だっただろうし、それで評価されていたのだと思います。

しかし2022年の今、特撮ドラマを見る目が肥え、海外ではアベンジャーズのような壮大なドラマ映画が次々作られている中で、今回、時代背景こそ現代にアレンジしているものの、ドラマの展開として1960年代並みの雑さであえて作ったというのが、「再現」とか「オマージュ」というだけではない、現代ドラマとしての「ウルトラマン」を見たかった私としては、ものすごく物足りない部分だったし、「何だ、こりゃ?」を頭の中で連発してしまった理由・・・のようです。

第2の「シン・ゴジラ」期待が悪影響?

「シン・ゴジラ」

そう感じてしまったもうひとつの要因としては、多くの方がレビューとして書いているように、「シン・ゴジラ」の流れで「シン・ウルトラマン」を見てしまった、というのも大きいと思います。

安全保障の面で数多くの問題・矛盾を抱える日本で今、ゴジラが現れたら一体どういうことになるのか。ある意味、テーマをそれ一本に絞って真摯にストーリーを組み立て、荒唐無稽な話でありながらリアリティを感じさせた「シン・ゴジラ」。

もちろん、怪獣対ウルトラマンという、さらに荒唐無稽な設定を現在の日本に当てはめるなどというのはいくら何でも無理がある、とは思いますが、それでももう少しリアリティを感じさせる作り方はあったのではないでしょうか。
そして「シン・ゴジラ」を評価した多くの人が、「シン・ウルトラマン」にもそれを期待していたのではないでしょうか。

そういう意味では、私が思う最大の敗因は(負けと思っていない方はごめんなさい)、禍特対(この字面もどうなんでしょう?「禍威獣」なんで無理やりな命名、絶対やらなくないですか?)を官僚組織にしてスーツ姿で対応に当たる、などというリアリティのない設定にしたことのように思います。

元の「科特隊」のような、自衛隊とは別の対禍威獣部隊にして、最新のIT技術と武器を駆使して立ち向かう、という素直な形にしておけば恐らく、人類が怪獣と渡り合うことにもう少し現実味が生まれていたかもしれません。
(長澤まさみがスカート姿だったがゆえに物議を醸している問題も起きなかったかも・・・)

確かに、あれだけ巨大なもの同士の闘い、あるいは人間の大きさをしていても異常なほどの「超能力」を使う外星人を相手にした闘いで人類に何ができるか、ということにリアリティを持たせるのは本当に難しいことだとは思います。
でも制作側が、なぜ現在の日本を背景としてウルトラマンをよみがえらせたのか、真剣に伝えようとしていれば、コアなファン以外にも響くものはあったと思うのです。
「シン・ゴジラ」では感じられた、そういう真摯な思いが「シン・ウルトラマン」では感じられなかった、それが本当に残念なことでした。 

ということで言うと、実は次回作である「シン・仮面ライダー」には期待しているのです。
(「シン・ウルトラマン」にもとっても期待していたのですが)
敵が絶望的なほど大きすぎず、ヒーローである「仮面ライダー」も等身大の人間(改造はされてますが)です。考えてみれば「バットマン」とか「スパイダーマン」とそんなに変わらない設定ですよね。
公開されている「特報」映像も割と普通のアクション映画風。(「シン・ウルトラマン」も「特報」はかっけー!と思ったんですけどね)
「シン・仮面ライダー」の「特報」動画はこちら

ぜひ制作の皆さまには、今の時代に「仮面ライダー」がよみがえった意義はこれだったか!と納得できるような作品にしてほしいものです。

映画

Posted by ブラックバード