ミステリーランキング席巻の「名探偵のいけにえ」 ”特殊設定”と”多重解決”のめくるめく世界へ

2022年12月20日

「このミステリーがすごい!2023」「週刊文春ミステリーベスト10」、ともに第2位に輝いた超注目作、白井智之「名探偵のいけにえ」(新潮社)。
この時期恒例、各種ミステリーランキング上位に入った作品の中から、面白そうなものを何冊か買い込んで順に読んでいっているのですが、この本はその1冊目です。

評判通り、すごい作品でした。

実際に起きた有名事件をモデルにしているので、舞台設定や事件の展開がスリリング、一方で作者の創作(と思われる)として、信者たちは奇蹟を本当に信じていて、自分たちの身にも奇蹟が起きていると実感している、それゆえに部外者と違う姿が見えている、そういう世界で起きる犯罪は部外者には思いもよらない動機と手段が存在する・・・というややこしくも魅力的な構造となっているのです。

そして、解決編で明らかにされる二重三重の「真相」、意外な結末と動機・・・

いや、よくまあこんなこと考えたな、と思いますね。
個人的な評価として完ぺきとは言い切れないのですが、とにかく面白いのは間違いない。

ミステリーランキング上位獲得も納得の1冊を詳しく紹介していきます。

奇蹟を信じる信者を納得させる「解決」とは

やはりこの作品も、あらすじを下手に説明してしまうとネタバレではなくても興趣を削いでしまうので、何とかうまくぼかしながら内容を説明してみます。

主人公は「探偵」の大塒宗(おおとやたかし)。
本来は身元調査や浮気調査を行う、普通の探偵だったのですが、いつのまにか事件を解決するのを目的とした「ミステリー小説的な探偵」になってしまっています。(この設定には好感が持てます。詳しくは後ほど)

そこに現れた大学生の有森りり子、ある事情を抱える彼女は大塒の事務所に押し掛け、むりやり助手に収まるのですが、実は彼女、この「ミステリー小説的な探偵」として天才的な能力を持っていて、おかげで上司である大塒が「名探偵」として有名になってしまうのです。

そんなあるとき、りり子が突然失踪。
行方を追った大塒は、彼女がガイアナ共和国でユートピアを築く「人民教会」という謎の団体の調査員として派遣されていたことを知り、友人とともにその本拠地「ジョーデンタウン」に乗り込みます。

しかし大塒の到着直後からジョーデンタウンでは凄惨な殺人事件が次々と発生。
大塒たちも危険な状況へと追い込まれます。

犯人は誰かをただ特定するだけでなく、教祖ジム・ジョーデンの奇蹟を信じる信者たちが納得する動機・犯行方法を見つけ出さなければいけない「部外者」たち。
特殊設定の中で、いくつもの「解決」が提示され、読者も翻弄されていきます。

実際に起きた、宗教団体の大事件がモデルに

この小説のモデルとなった事件、先に“有名”と書いたものの、実は私、知りませんでした。
それでWikipediaで読んでみたのですが、これがWikiの通りだとすると、作者はかなり事件の大枠は踏襲しているし、名称なども似ています。

まず教団の名前は「人民寺院(小説は人民教会)」、教祖はジム・ジョーンズ(ジム・ジョーデン)。
ガイアナ共和国(実在する南米の国)に移住したのは同じで、そこで最終的に「集団で死亡」した信者の人数は914人(小説では918人)と若干違っていますが、「クール・エイド」という粉末ジュースに青酸カリを混ぜて飲んだという手段は同じです。

一方、この小説のユニークであり、作者が工夫したところは、信者が奇蹟を信じていることによって、このジョーデンタウンが“ケガも病気もない”世界なんだ・・・という設定を作り上げたことです。

例えばベトナム戦争で両脚を失った男は、教団に入って脚が元通りになったと信じ込んでいます。外部の人間には明らかに脚がないと見えているのに、本人はあるつもりで生きているのです。
クラスター弾で大やけどを負った男はケロイドがはっきりと残っているにも関わらず、「教祖様のおかげでやけどは完全になくなった」と喜んでいます。

その結果、何が起きるのか。
例えば複数の人が任意でティーカップを取ってお茶を飲み、そのうち信者ではない人物だけが死んでしまった。
そのお茶にだけ毒が入っていたと思われるのですが、一体どうやってその人だけが毒を飲むように仕向けることができたのか。普通の人はそう考えます。

でも信者たちは違います。全員のお茶に毒が入っていたが、信者には毒が効かなかっただけ、何の不思議もありません、と。

そういう信者たちが納得する「解決」をどう提示するか・・・
こう説明しても、多分何を言っているのか伝わらないのがこの作品の面白いところです。そこは是非、本書を読んで体感してみてください。

”特殊設定”と名探偵の”存在意義”

こういう特殊設定って結構、好きです。
死んだ人間がよみがえる世界で、なぜ殺人が起きるのか? 2人以上殺したら地獄行きの世界でなぜ連続殺人が起きるのか? みたいなやつです。

この作品はちょっとそれらとは違いますが、人々が奇蹟を信じているからこそ起こせる犯罪、起き得る現象という発想はすごくおもしろかったですね。

一方、私がこういう「本格ミステリー」でひっかかるのが、いわゆる「探偵の存在意義」みたいな命題設定です。
最近の作品でも、やたら探偵としての役割をどうやったら果たせるのか、とか自分は探偵だからこう生きるしかないんだ、とか周りも探偵にはこんなことを期待する、みたいなことを言ったりする「本格ミステリー」、多いですよね?
でもそんな探偵、現実にはいないじゃないですか。

誰も探偵が事件を解決することを期待していない・・・というかそんな存在が事件にかかわってくると思っていない。
なのになぜ本格ミステリーでは、自称探偵たちが自分たちの使命みたいなものに思い悩むんでしょうか?

その点、この「名探偵のいけにえ」では、時代設定を1970年代にして、テレビで「名探偵番組」が人気であることなどを示したうえで、意に反して「名探偵」と呼ばれるようになった主人公を描いているので、違和感はほとんどなかったです。

第一・第二の「解決」 ちょっと無理が・・・

という風に全編、ち密な計算に基づいて練り上げられたこのミステリーなんですが、あえて不満を言えば、解決編が“多重構造”になっている、正確に言えば“三重”解決なのですが、最初と2番目の解決は、かなりアバウトな感じでちょっと無理があるだろう~と思ってしまうんですね。

近年の「このミス」ランキング1位の作品にも多重解決ものがありましたが、それと比べても、「う~ん」という感じはありましたね。

いや、これだけの二重三重の答えを考えるのって大変だと思うんですよ。そこに挑戦しただけでもすごいことだし、それはそれで面白いんです。
ただ、そのクオリティーがさらに上がっていれば、ランキング1位を総なめできたかもな~と、ちょっと惜しいと・・・すごく偉そうで何様だという感じですが、そう思った次第です。

あとはこれは瑕疵でもなんでもないんですが・・・

終盤、大塒が大演説を行います。
で、この小説は日本語で書かれているから何とも思わないんですが、実は大塒の大演説、ほんとは英語で行われてるんですよね。
1970年代に、これだけの演説を英語でできたなんて、大塒宗、どんだけ英語ペラペラだったんだ?とちょっと思ってしまいました。

全く本筋と関係ない話でしたが。