アカデミー賞脚本賞映画「ベルファスト」 悲惨な争いが続く街で温かな家族の絆を描く名作

2022年4月8日

映画「ベルファスト」公式HPより

名優にして名監督、ケネス・ブラナーの映画「ベルファスト」を見てきました!
第94回アカデミー賞で脚本賞を獲得したという話題はありながら、映画館は週末なのに満員とは行かず・・・ やはり日本人にはちょっと遠い話なのかもしれませんが、同じヨーロッパでは今まさに戦争が起きている訳で、多くの血が流れる街の中で普通の人々はどう生きているのか、非常に考えさせられる作品でした。

いや~いい映画でした!!

1969年のベルファスト

1969年、北アイルランドの「首都」ベルファスト。

1990年代後半まで続く「北アイルランド紛争」の最初期、主人公の少年バディ(9歳)が住む地域では、プロテスタントの暴徒がカトリックの住民を襲撃する事件が頻発していて、彼の一家もそのまま住み続けるのか、移住するかという選択を迫られます。

北アイルランド紛争と言えば、アイルランド統一を目指すIRA(アイルランド共和軍)がテロを起こしまくって数知れぬ犠牲者が出た悲惨な歴史、という認識でしたが、そもそもで言えば宗教対立なのでしたね。
同じキリスト教なのにここまで対立し合うという複雑さ・・・

私の中では90年代初期、ニュース映像でのベルファストしかイメージがないですが、それはもう「血塗られた街」という記憶ですね。

映画の冒頭、現在のベルファストの美しい映像が流れます。もともとはあのタイタニック号も作られた造船の街、今では北アイルランドの観光の中心なのだそうです。

そのベルファストの一角で暮らすバディ、子供なのでその世界は非常に狭いわけですが、大人にとっても住民同士の結びつきが非常に強い地域で誰もが顔見知り、子供たちはみんな街の道路でタイヤを転がしたりして遊んでいます。

バディの両親も、幼馴染みでそのまま結婚。ずっとこの地域に住み続けています。だからこそ、移住するかどうかというのが非常に難しい選択になってきます。
私のように故郷を飛び出して東京暮らしをしている者にとっては、こんなに危険なら少しでも早く逃げ出せばいいのに、と思ってしまうわけですが(しかもバディの父親が持ち帰る移住先の案は、イギリス連邦の国であるオーストラリアとカナダ。現代で考えればとても魅力的な地なのですが、当時のベルファスト市民にとっては遥か彼方だったんでしょうね)、バディの母親は、同じイギリス国内であるロンドンであっても、自分たちは差別されるのではないか、きっとうまく行かない、と当初は反対するのです。

大切なのは「家族の絆」

この映画の何が良かったかと言えば、荒れ狂う日々の中で、バディ一家の「家族の絆」が温かく描かれていること。
バディの父親は基本、ロンドンへの出稼ぎで子育ては妻(バディの母親)任せ、税金を滞納したりしてそれを母親が何とか工面して尻拭いするという、ちょっといかがなものかという人物なのですが、それでも決めるところは決める。(なのでバディにとっては父親はずっとヒーローなのです)

例えば・・・バディ一家自体はプロテスタントなのですが、地域にはカトリックの住民も多くて仲良くしている、そこへ暴徒(プロテスタント)のリーダー的存在が「仲間になれ」と強制してきて、ついに父親との対決状態になり、そこで見せる父親の雄姿。

ほかにも夫婦仲がギクシャクしていた中でのダンスパーティーで、父親が「Everlasting Love」を熱唱し、妻と踊るという相当かっこいいシーンがあり、この話がケネス・ブラナー監督の自伝的映画ということは、この夫婦は彼の両親を思い描いているわけでしょうが、ちょっと美化しすぎなんじゃないの?と思ってしまうところですw

バディの両親のダンスシーン。名場面です(公式HPより)

「ウクライナ侵攻」後の今こそ見るべき

とにかく、死者が出るような激しい争いを背景にした映画ながら、全体に音楽とユーモアがあふれ、その街で暮らす少年の日々がノスタルジックに描かれます。

これから何十年もの間、「血で血を洗う」戦いが続く予感を濃厚に漂わせつつ、見終えた時には温かい気持ちになる・・・ 
もちろんそれは、北アイルランド紛争が1990年代の後半に一応の終結を見ていて、今はベルファストにも落ち着いた生活が戻ってきていることが冒頭で示されているから、安心して見られる・・・ということかもしれません。
それでも、どんな状況であっても精いっぱい生きる、お互いを支え合う・信じあうということがいかに大事なことか、改めて教えてくれる映画です。

ラストシーン、ジュディ・デンチ演じる「ばあちゃん」がつぶやく言葉、それに対してバディが・・・
本当に完璧なエンディングだったと思います。

ウクライナで多くの血が流され、たくさんの人が故郷を去らねばならない事態が起きている今、この映画が直接的そして間接的に伝えていることを改めて考えざるを得ません。