新聞社の裏側描いた「朝日新聞政治部」 政治家との癒着、社内の権力闘争、”誤報”問題の真相も

去年5月に朝日新聞を退社したジャーナリスト、鮫島浩氏が書いた本、「朝日新聞政治部」(講談社)を読みました。

「登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション」という謳い文句の通り、彼の上司や同僚だった人が次々実名で登場して激しい権力闘争を繰り広げる・・・ 
取材相手の政治家たちじゃないですよ、自分たち記者が朝日新聞内で足を引っ張たり蹴落としたり、仲間に引き込んだりと、さながら「半沢直樹」のような企業内権力闘争を展開する、それを生々しく描いた1冊で、非常に興味深く読みました。

政治家のSPがひと言 「お立場が違います」

この本を書いた鮫島さん、入社の時から従来の政治部的なあり方に疑問を抱いていて、要は政治家に媚を売ってネタをもらう・・・というのが嫌な人だったんですね。とは言え現実には相手の懐に飛び込まないと他社とは違う情報なんて何も入ってこない。なので彼は彼なりに自分が許容できる手法で政治家を取材し、それなりに敏腕記者として台頭していく。

そしてそういうややアウトロー的な若手を受け入れる鷹揚な上司たちが政治部には何人かいて、鮫島氏はそれぞれと良い関係を築いていくのだけども、やがてその上司たちは社内の争いに巻き込まれて、鮫島氏との関係に変化が出ていく・・・というあたりが、ノンフィクションとは思えないほどドラマティックなんですよね。

政治家と新聞記者の独特の関係というのも面白い。

特に私が印象に残ったエピソードは、まだ鮫島氏が入社4年目で浦和支局に赴任した際、支局長を務めていた「大物政治記者」の話です。
その支局長は、当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だったという加藤紘一氏と非常に親しかった。
ある時、加藤幹事長が埼玉に極秘で来るというので立ち寄り先で待っていると、その支局長が加藤氏と同じ車に乗ってやってきた。そこまでは「箱乗り」という取材方法だからいいとして、加藤氏がエレベーターに乗り込み、続いて支局長が乗り込み、鮫島氏も乗り込もうとしたところで、SPに制止された。

「なぜ私はダメなんですか!」と叫ぶ鮫島氏にSPがひとこと。

「お立場が違います」。

このSPの言葉、痺れますね。「お立場」って何??(笑)
愕然として、「これが政治取材の実像か」と思い知る鮫島氏、こんな政治取材は変えてやる、と思うわけですが、結局その後、彼自身も多少の違いこそあれ、政治家との深い関係を築き上げ、それによって特ダネを連発するという経験を重ねます。
もちろん、この「大物政治記者」のような、いわゆるズブズブの関係ではなく、矜持と節度を持った、健全な関係を心掛けるのですが、やはり周りはそう見てくれません。

本の中で出てくるエピソードとしては、当時経済財政担当大臣だった竹中平蔵氏に食い込み、特ダネを連発した鮫島氏、本来経済部が取材すべき竹中大臣から政治部記者が次々スクープをとったことで軋轢が生じ、鮫島氏は担当を替えられてしまいます。
その後、彼は自分の取材手法を顧みるのですが、結局自分は竹中氏の「改革」の片棒を担いでいたのではないかと反省しています。

「吉田調書」騒動 当事者が真相を明かす

この本のクライマックスは「吉田調書」をめぐる大騒動です。
「吉田調書」、覚えていますか? 私は忘れていました。当時は随分騒がれたものですが。

「吉田調書」は、東日本大震災時に福島第一原発で事態収拾の指揮を執った、吉田昌郎所長が後に政府の事故調査委員会の聴取に応えた、その時の記録です。

鮫島氏が所属していた「特別報道部」が、公表されていなかった(隠ぺいされていた?)この「吉田調書」を独自に入手し、一面で報道した、それ自体は紛れもない大スクープでした。

問題はこの時、鮫島氏のチームが「吉田調書」の内容の中で何を最も重要だと考えたか。
それは当時、吉田所長が所員たちに「第一原発内で待機するように命令していた」いたにもかかわらず、所員の9割が10キロ離れた第二原発に退避していたことでした。
調書のこの部分が、東電が明かしていなかった重要な事実だと考えたチームは、「所長の待機命令に違反して所員の9割が第二原発に退避していたことがわかった」という記事を一面トップに持ってきたのです。

後に問題となるのは「ほとんどの所員が待機命令に違反して退避」という表現です。
どうやら当時、待機命令を知らずに退避していた所員もかなりいたようで、それを「命令違反」だと一律に言うのはひどいんじゃないかという指摘、さらには「誤報だ」という批判も強まってくるのです。

この前後の経緯については、様々な意見があるでしょう。
鮫島氏は当時の状況・心境をおおむね率直に書き記しているので、それ自体に「認識が甘いよ」とか「責任転嫁だ」と感じる人もいるかもしれません。とにかく、当時裏側で、朝日新聞の社内でどういうことが起きていたのか、こうして書き残してくれることはすごく重要なことだと思います。

朝日新聞の政治記者に今、どのような人がいて、どのような取材手法で政治家に向き合っているのかはわかりません。きっと本書に書かれているような取材のあり方は今後、どんどん廃れていくのでしょう。

そもそも新聞業界自体が斜陽と言われて久しいメディアです。
この本はそうした、ある種「古き良き新聞社の全盛時代」の実態を教えてくれる貴重な資料と言えるかもしれません。